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究極を意味するギリシャ語 Ω(オメガ)
1848年に時計士のルイ・ブランが時計産業の盛んなスイスのジュラ山脈にあるラ・ショー=ド=フォンに時計の組み立て工房を設立しました。創業当時ルイ・ブランは23歳という若さでしたが、スキルはすでに確立されており、順調に経営を拡大していきました。
創業からおよそ30年後の1880年には、現在でも本社が置かれているビエンヌに工場を建てるほどになりました。この工場設立を機に時計の組み立てを主体とする事業からの脱却を図り、本格的な時計製造への転換を成し遂げます。
1880年、機械式シリンダー・エスケープメントのキャリバーを発表。彼らはこのキャリバーを使った懐中時計「ジュラ」、「パトリシア」、「ヘルベチア」、「ケルティック」を発表しました。イギリスを中心とするヨーロッパ市場で販売し成功しました。
広く一般に受け入れられる高品質の製品と、市場の状況を読んだ確実なマーケティングが成長をもたらしました。こうして1889年には従業員600人、年間製造個数10万本というスイス最大の時計メーカーに成長しました。
ギリシャ語の最終文字「Ω=オメガ」。
1894年オメガにとって、記念すべき年となりました。オメガ19ライン・キャリバーを開発。
「これ以上の到達は不可能、究極」の意味を込め、ギリシャ語の最終文字「Ω=オメガ」をブランド名にしました。
ルイ・ブラン・アンド・フレール社の時計ブランド「オメガ」の名前が広がるのに時間はかかりませんでした。
1903年には「ソシエテ・アノニム・ルイ・ブラン・アンド・フレール・オメガ・ウォッチ」と社名にもオメガが加えられ、その後1947年に「オメガ・ルイ・ブラン・アンド・フレール」社、1982年に「オメガ」社と変化を遂げました。
人類の偉業とともに。
1932年、ロサンゼルスオリンピックの公式時計に採用されます。同じ年に世界で初めて一般向けに販売されたダイバーズウォッチ「オメガ マーリン」初の防水を実現化させた第一号を発表しました。
シーマスターへと続く一連のダイバーズウォッチの歴史は、このモデルから始まりました。
1957年発表には「スピードマスター」を発表。NASAの宇宙計画にて、数多の腕時計の中から唯一の公式クロノグラフとして選ばれました。擬似宇宙環境で苛酷なテストを繰り返した結果、唯一合格したのがスピードマスターだったのです。1969年に人類初の月面着陸に同行したことから”ムーンウォッチ”の愛称で多くのファンに親しまれることとなりました。
海と宇宙、それぞれの開拓において多大な功績をもたらしたオメガ。その実用性は世界的に認められ、1932年に開催されたロサンゼルス大会以降はオリンピックの公式計時を務めるほどになりました。このような出来事から、世間的に名声を確立したオメガは「精密時計のオメガ」と呼ばれるようになったのです。
スポーツ時計の分野でもオリンピックのオフィシャルタイムキーパーを最も多く務め、著名アスリートの活躍を支えてきました。オメガほど人類の偉業に立ち会ってきたブランドは、他にないでしょう。