セイコーの高価買取ならだるまやへ
国産時計ブランドの最高峰。
オメガやロレックスをはじめとする、スイスの高級時計ブランドに対抗できる国産ブランドです。
創業は1881年、場所は東京、当時は服部時計店として服部金太郎氏によってなされました。東洋の時計王の異名を持つ服部金太郎氏は掛時計に次いで開発に着手したのが懐中時計でした。技術陣は輸入品の懐中時計をベースに試作・研究を重ね、1895年に懐中時計「タイムキーパー」を完成させました。
1911年には国内時計生産量の60%を占めるまでに成長します。
国産初の腕時計である「ローレル」を製造。
1913年まだ懐中時計が主流の時代でしたが近い将来、腕時計への需要は懐中時計のそれを上回るだろうと予想していた服部は試作と研究を続け国産初の腕時計である「ローレル」を製造しました。その後、セイコーは時計王国スイスに追いつき、追い越せとばかりに意欲的な時計開発を開始。
1923年に起こった関東大震災により精工舎の工場は大きな被害を受け、時計の生産を停止せざるを得なくなりました。事業再開には莫大な費用が見込まれたものの、服部はすぐに再建を決意します。1924年に「SEIKO」の商標利用を始めました。
1929年に当時の江木鉄道大臣浜口内閣によって、懐中時計「セイコーシャ」が鉄道時計として指定されました。それまで採用されてきた欧米製の懐中時計と比較検討された結果、このセイコーシャが採用されることとなりました。また、同じ年に、電話交換手が通話時間を計るために使用した交換時計としても採用されました。このように「セイコーシャ」は、精度、品質などの面で非常に優秀であると実証されました。
グランドセイコーをリリース。
世界と対等に渡り合える国産時計を目指し、1960年にグランドセイコーの初代モデルをリリース。
セイコーという名前が世界的に広く認知されるようになったのは、1964年に開催された東京オリンピックがきっかけでした。戦後の混乱の中、いち早く時計の製造と開発を再開していたセイコーは、オリンピック各種目の公式計時を担当することとなったのです。
年を追うごとに技術を向上させ、1967年度のヌーシャテルコンクールではセイコーが上位を独占するという快挙を成し遂げました。
世界初のクォーツ式腕時計「アストロン」を発売。
1969年、セイコーは世界初のクォーツ式腕時計「アストロン」を発売しました。
これは時計史における革命的な出来事で、クォーツショックと呼ばれています。それまでスイスの定めたクロノメーター規格のモノでも平均-5~+8秒程とされていた日差を、月差±3秒以内に収めるという前代未聞の高精度を誇っていたのです。
さらなる精度を求めて。
自社のクォーツ時計発表の後も、異なるタイプの技術を研究し続けていました。1977年にはソーラーパワーを利用する時計を、1986年にはクォーツ時計に手巻きを合わせたものを投入しています。そして1988年には、セイコーA.G.S.という新たな時代を拓く先進のテクノロジーを発表しました。
1998年にはスイスのクロノメーター規格より厳しい「新GS規格」を自ら制定、『グランドセイコー』のムーブはその厳しい規格に準拠しています。
さらに2009年には、約40年前に開発した61GSを彷彿とさせる、毎秒10振動のハイビートメカニカルウォッチを開発。2020年に発表されたキャリバー「9SA5」は、さらなる精度を求めて最先端の技術を採用しています。
セイコーの始まりは1881年。『ロレックス』が1905年の創業ですから、歴史の長さもスイスの名門に引けを取りません。
発展を支え続けてきたハイレベルな技術のひとつに、最も力を入れていたのがグランドセイコーといった高級腕時計の分野です。クォーツ式と機械式の融合とも言える「スプリングドライブ」の技術など、高精度や高機能にこだわった商品を発表し続け、セイコーはその確固たる地位を揺るがすことなく、世界をリードし続けています。
完成まで20年以上を費やしたともいわれているスプリングドライブは、世界で唯一セイコーしか作れない仕組みとして知られています。
このように、時計大国スイスの高級腕時計メーカーでさえも持ち得ない高度な技術力は、セイコーの大きな特徴であり、魅力とも言えるでしょう。