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世界5大ジュエラー
イタリアを代表する高級ブランド「ブルガリ(BVLGARI)」
1884年、ギリシャ系イタリア人ソティリオ・ブルガリがローマのヴィア・システィーナに店を出したことが、ブルガリの始まりです。
ブランド名の「BVLGARI」のスペルが「BULGARI」でないのは、創業当時は古代アルファベットの表記であったため「J」「U」「W」のスペルがなく、かつ小文字もなかったため「BVLGARI」と表記されました。
流行からは一線を画した独自のブルガリ様式
故郷イピロスに伝わる伝統的な技術と、6世紀ごろを頂点に東ローマ帝国で興ったビザンティン建築、古代ギリシャ洋式を融合させたブルガリの芸術的なデザインは、ローマで注目を集め一躍有名店に。その後、海外旅行者や富裕層をターゲットに、リゾート地のソレントやスイスのサンモリッツに販路を広げ、上流階級まで名声を広げました。
1900年代に入ると、ソティリオの息子であるコンスタンティノとジョルジオの兄弟が経営に加わり、1934年にソティリオが亡くなった後も、父から受け継いだ才能を受け継ぎ、ブルガリブランドを躍進させていきます。
また、優れたデザイナーでもあった二人の息子たちは、デザインにおいても当時流行したアールデコ、アールヌーヴォーといったフランススタイルの影響から一線を画し、創業時のデザインに原点回帰し、ソティリオの提唱したギリシャ建築様式や古代ローマ様式を再度デザインに取り入れました。
東洋文化に影響を受けているこれら古典様式はカラーストーン使いが特徴的で、「色石といえばブルガリ」と言われるほどの地位を確立しました。
さらに重厚なデザインが特徴であるルネサンス様式も取り入れ、流行からは一線を画した独自のブルガリ様式を作り上げたのです。
1950年代から60年代、「ドルチェ・ヴィータ(甘い生活)」と呼ばれブルガリの名声が世界中に広がった時代です。芸術性に富んだ作品を生み出すコンドッティ通りのブティックには著名人が集まり、オードリー・ヘップバーンやエリザベス・テイラーなど、大女優等がブルガリのファンであることを公言します。
成功の波に乗ったブルガリは、ヨーロッパやアメリカに販路を広げます。もはやイタリアだけにとどまらない、世界の富裕層を虜にするジュエラーとなったのです。
腕時計コレクション「ブルガリ・ブルガリ」
1977年、ブルガリのグローバル戦略を支えたのが腕時計コレクション「ブルガリ・ブルガリ」です。
現在でも有名な時計であるブルガリ・ブルガリは腕時計でありながら、高級な宝飾品のような美しさを持つことで注目を集めました。この商品の大きな特徴となっているのが、ベゼルに大胆に刻印された「BVLGARI」のブランド名です。このデザインは多くの方の印象に残ることとなり、ブルガリ・ブルガリを発売したことで一躍高級腕時計メーカーとしても人気を集めました。
1980年にスイスに時計製造会社「ブルガリ・タイム」を設立、ジャンニの弟であるパオロと二コラがそれぞれ会長と副会長に就任します。
香水「オ・パフメ (現:オ・パフメ オーテヴェール)」
1992年、ブルガリ初となる香水「オ・パフメ (現:オ・パフメ オーテヴェール)」を発表。この香水は、緑茶成分から作られ、緑茶の香りとして茶の湯の世界を表現し大ヒットします。この成功をきっかけに、ブルガリのパフューム部門である「ブルガリ・パフューム」が設立されます。
ブルガリを代表するビー・ゼロワン
1999年、ブルガリは「ビー・ゼロワン」を発表し、ブルガリを代表するデザインになりました。この商品は、ブルガリを表すBと、始まりを意味する01を組み合わせて名づけられました。
ビー・ゼロワンは、「トゥボガスモチーフ」と「ブルガリ・ブルガリ」という2つの代表的なデザインを組み合わせたことで注目を集めました。
このビー・ゼロワンは、現在も新しいデザインのコレクションが発表され続けています。
ホテルやレストランなど他領域へ事業を拡大
2011年にはベルナール・アルノーの率いる世界最大のブランドコングロマリット LVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)の傘下に入り、ブルガリ一族以外で初のCEOが就任します。
CEOのマイケル・バーグは、ルイ・ヴィトン、クリスチャン・ディオール、フェンディの要職を歴任、LVMH執行委員会のメンバーも務めている人物です。
統合により資金面の基盤が固まり、ホテルやレストランなど他領域においても事業を拡大、ラグジュアリーブランドとして躍進し続けています。
ブルガリは、高級ブランドとしての足場をしっかり固めながらも他のブランドが進出していないような領域にまで手を伸ばして成功を収めている稀有なブランドなのです。
これからも進化を続けていくブルガリから目が離せませんね。