エルメスの高価買取ならだるまやへ
世界最高峰ブランドとして躍進する「エルメス」
世界最高峰の品質と絶大なステータスで、世界中のセレブリティ達を虜にしてきました。もちろん買取市場でも圧倒的な強さを誇ります。
これだけ人々を魅了するエルメスとは、いったいどのようなブランドなのでしょう。
1837年にパリに開いた馬具工房である。
当時の主な移動手段は自動車ではなく馬車であったため、馬車工房自体は当時一般的な存在であったが、1867年にパリ万博の馬具部門銀賞を授与することで、ティエリ・エルメスの馬車工房はナポレオン3世などのセレブなどを顧客にもつことになり発展を遂げました。
1878年にティエリ・エルメスが死去した後、息子のシャルル・エミール・エルメスが2代目として跡を継ぐと、今までの下請け業から直接顧客へ販売することをスタートし、合わせてフォーブル・サントノーレ24番地へ工房と店を移転。これが現在のエルメス本店となっています。
1920年ハンドバッグ部門をスタートすると縫い目を表に出すクージュ・セリエという鞍縫いの製法を活かして作られた革のバッグが爆発的な人気を呼び、また初めてファスナーをバッグに用いたのもエルメスです。エルメスのバッグを見たシャネルがスカートにファスナーを使い、これが契機となって服にファスナーが使われるようになったとされます。
『バッグはバーキンよりもケリー・バッグが先に誕生』
1956年にはモナコ王妃グレース・ケリーが「サック・ア・クロア」で妊娠していたお腹を隠していたことから、「サック・ア・クロア」を「ケリー・バッグ」と呼ぶようになりました。
エルメスの代名詞とも言われる『バーキン』は1981年にバーキンさんがパリからロンドンに向かう飛行機の中で、当時エルメスの社長だったジャン=ルイ・デュマ氏と偶然に隣同士になったことだと言われてます。
エルメスの代名詞、バーキンの特別なプレミアム感は、入手するハードルの高さも大きく関わっています。エルメスを正規店から購入するには、まずエルメスの顧客になる必要があります。バーキンは希少品のため店頭にストックがありません。入荷したら上顧客にのみ直接案内される幻のアイテムです。
エルメスの顧客になる条件は当然ながらエルメスで製品を購入する必要があります。毎回同じお店の同じ担当者から購入することで顧客として認識され、バーキンが欲しいという情熱を伝え続けて、いつかは案内してもらえるかどうかという代物なのです。
しかも、必ずしも希望の色や素材が叶うわけではなく、希望と違うバーキンでも購入を断ったら2度と案内してもらえない可能性があるといいます。つまり、バーキンを正規店から定価で購入できるのは、ごく限られたセレブ層だけなのです。
世界最高峰の群を抜く技術力。
世界最高峰エルメスのバッグはその技術力が群を抜いて凄いです。
一人の職人が最初から最後までの工程の全てを手掛けており、バーキンやケリーなどの人気のバッグを20時間程度かけて作り上げているのです。優秀な職人でもひとつのバッグを手掛けるのには2日以上掛かるので、納品まで数年待ちなんてことも発生します。
その価値は一点ものと言っても良いくらいの技術とこだわりが感じられ、一流ブランドだからこそ成せる技なのでしょう。
「主役はあくまでもユーザーにある」という考え方。
エルメスができることは、ただ最高品質のアイテムを提供するということのみ。そこに最終的な価値を見出し、享受するのは他でもないお客様自身である、という首尾一貫した姿勢。
それがロゴ『デュック(四輪馬車)とタイガー(従者)』からも伝わってくるのではないでしょうか。馬車と馬、そして従者が描かれているものの、肝心の主人がそこにはいないのです。
エルメスが創業当初から持ち続けているのが、「主役はあくまでもユーザーにある」という考え方。
エルメスとその職人(=馬と従者)は、ひたむきに最高の製品(=四輪馬車)を提供するのみ。馬車に乗りその最終的な価値を見出し、享受するのはお客様自身(=主人)である、 主人であるユーザーに永く愛される最高の製品をつくり続けるというこの「デュックとタイガー」のモチーフに込められた経営哲学にこそ、エルメスがいつの時代も人々を魅了してやまない理由といえるのではないかと思います。
エルメスの商品の価格は、積み重ねた歴史と職人の繊細な作業に見合うだけの価値であるといえます。それらの背景を感じて、エルメスを見つめ直すと、これまでとは違った見方ができるかもしれません。
エルメスが世界最高峰ブランドで居続けられる理由がお分かりいただけたのではないかと思います。